2015年07月18日

古典落語についてほんの少しだけ考える

今朝
三代目桂三木助の「宿屋の富」という古典落語を聞いたんだけれど、
「今だったら、ここまで登場人物のやり取りを繰り返さないだろうなぁ。」と、その時代の言葉の流れとか、『間合い』とか『言葉の繰り返し』というものが、あるんだなぁと感じたね。

落語、特に古典落語って『古典』なんだけれど、現代の人が言葉だけで伝えるという日本独自の文化の形態なんだよね。
んで、当然のことながら古典だから昔の言葉、現代では死語として、誰も使っていないし知らないWORDが入っている場合もあるのね。
だから、頭のある演者=噺家さんは、解説臭くなくそのWORDについて噺の中に組み込んでいるのね。この技は先ごろ亡くなった桂米朝さんが本当にうまぁくマクラにはめ込んでいて、その言葉とかシーンが物語の後半、終盤に登場して来ても聴衆は、「あ〜〜なるほどねぇ」と違和感なく、疑問無くその話芸の世界観に浸ることが出来るわけなのね。
とっころが頭の無い若手というやつは、昔のものは昔のまんま一言一句コピーすることが正しいと思い込んで、演じる馬鹿が居るんだよね。

これを厳格に咎めたのが家元・立川談志だったね。
『言葉ってぇのは生きているんだ。それが古典芸能と呼ばれる過去のものであろうが、生きた今に生きる人間が喋っているんだから、今と過去を繋ぎつつ、現代人に違和感なく過去を見せるのが噺家ってぇものだ』と言っていた。
歌人の俵万智が、国語審議会において皆が「日本語が乱れている」という多勢の流れに対して「日本語は揺れている」と評して「言葉は生きている。生きているからこそ揺れることが出来、生きているからこそ時代に応じた姿かたちをかえている。言葉は生きている。」と発言したのと同じであろうと思う。

立川談志の弟子で、現代の落語家の中で、最もチケットが撮りにくい一人・立川談春が演じる「文七元結」という噺がある。古典落語の名作と呼ばれる作品で、左官の長兵衛親方に吉原の大店『佐野槌(さのづち)』の女将が説教するくだりがあるんだけれど、六代目圓生の「文七元結」では、この説教部分の会話は、まったくの『静』で流れていくけれど、談春のここは『動』なんだよね。会話の中で博打の親方の目利きについて説明しているんだな。よくぞこれを組み込んだ、それも何の違和感もなくと感心するんだな。

三代目桂三木助の「宿屋の富」に戻ると、当然のことながらこれはライブ音源でどこかの寄席かホールで録音されたものであるのね。
やはり名人と呼ばれた方であるから、あたしのような素人が聞いていても流れと情景が頭の中で映像が結ばれる。
しかしながらその時代の『間合い』と繰り返しは「ここでもう一度繰り返すのかぁ?その先をはやく・・・」と少なからず感じてしまうんだよね。
現代に合わせた『間』と『流れ』を持って噺を演じることが出来る方が居てくれればと思うんですが、過去の音と間と流れであることが尊いのかもしれないね。
今新たにこの噺をわざわざ聞く必要はないよなぁ。
posted by 宇之助 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2014年08月24日

車について考える

あたしは、車が嫌いなんだよね。
そういうと、必ず
「それならなぜボルボなんて乗っているんだ。」と言い出す奴が居るんだな。

あえていうなら
「だって荷物がいっぱい乗るんだもん。」
ということなんだろうね。

遠方、たとえば『都内』『大阪』『名古屋』へ行きましょうという場合、
間違いなく新幹線、在来線等公共交通機関を使う。

んであたしが
今乗っている車で動くとすると、
三島←→御殿場(片道約33km、週5日の走行距離は約300km)
三島←→浜松(片道約160km、本当にたまにだね。年に一回あるかどうか)
三島←→松崎(片道約60km、これも年に一回あるかどうか)
三島←→伊東・伊豆高原(片道約60km、同様に年に一回あるかどうか)
その他走るとすれば、せいぜい片道20km。

10年走って走行距離は170,000km
困ったことに、炎天下の真っ昼間にはエアコンが効かなくなる。
センサー異常なんだろうね。
室内に3つ、コンプレッサー内に1個センサーがある。
たぶんコンプレッサー内のセンサーがおかしいんだろうね。

出退勤時は、エアコンがかろうじて効いている。
いまのところ。

そろそろ
代替の車を考えた時、
一日の走行距離を考えた時、
『電気』自動車でもいいのかなぁと考えるんだよねぇ。
posted by 宇之助 at 22:38| Comment(3) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2013年07月21日

納豆について考える

さてさて、納豆。
最上納豆.jpg

これは嵐山光三郎氏が絶賛した最上納豆ね。ウチも大量に買って冷凍庫に保存して食べまくったねぇ。冷凍庫手に入れようかなぁ。冷凍庫で冷凍して(ストッカーだと冷凍させるって出来ないんだよね)最上納豆ストックしようかな。

っと今日の納豆のお話は、別の話。
たとえば納豆を丼とかに入れてねりねりとして・・・・・まぁ食べるわな。んで、その丼を洗おうという時、丼には納豆の糸、たぶんナットキナーゼがついているんだよね。台所洗剤をスポンジにつけて洗おうとしたときの洗剤が付く前と付いた後では、丼の感触が違うんだよね。
前者だと「ねばぁ〜〜」だけれど、後者は、へたをすると丼を落として割ってしまうほどの「ぬるっ」&「つるり」なのね。これは納豆関係の器を洗ったことなら「あ〜〜そうそう」「ウンウン」と頷いてくれるだろうけれど、台所&お皿洗いに縁のない人にはわからないんだな。

さて話は変わって髭剃りのおはなし。
髭剃りのカミソリメーカーは、だいたいこんなものでしょうか。
シック、ジレット、フェザー、ウィルキンソン、貝印、その他
どれがどこの国の製品かというのはさておいて、海外のカミソリメーカーのどれかは、朝ひげを剃ってきてはいけないと決まり事があるそうで、出勤してきて自社の開発品でヒゲを剃ることが決まり事になっているという。
昨今はカミソリそのものでは他社との差別化が難しいということで、別のことを考え始めたんだよね。

カミソリが皮膚の表面を、言ってみれば『立て板に水』という感覚でヒゲがそれるように・・・・『横板に餅』というようにブレーキが効いてしまうようでは危なくってしょうがない。
ということで、スムースに肌を滑るようにというわけで、スムーサーというものをカミソリに付加するようになったのね。
こぉれが各メーカーの研究課題となってきたのね。

あるメーカーのカミソリに「スムーサーにナットキナーゼで・・・・・」というような説明があった。
このメーカーのスムーサー開発に関わった人間に、いっつも納豆の器洗いをしていた人間がいたんだね。ひょっとしたらつるっと滑って器を割って奥さんに叱られたのかもしれないね。
 
「まったく納豆の器を洗うのって大変なんだよなぁ。
 
 おっとあぶない。

 また器割ったらしかられちゃうよぉ。
 このツルッと滑るのは何とかならないかなぁ・・・・・
 おやぁ〜〜これをスムーサーに使えば・・・・・・」

というわけで、
ナットキナーゼがスムーサーに使われるようになった・・・・・・に違いない。
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2012年09月28日

サンマーメンについて考える

「サンマーメン」というと、
「えっ秋刀魚がラーメンの上に乗っているの?」という人間が居るのは事実。頭の上に、京都のにしんそばの秋刀魚&ラーメン版をいめーじするらしい。

はっきり申しましょう。
サンマーメンは、
『秋刀魚ラーメン』ではありませぬ!!


サンマーメンというのは簡単に言うと、
昭和22年〜23年頃に横浜中華街で生み出された
『もやしメインの野菜あんかけ醤油味ラーメン』のことを言いますね。
サンマーメン.jpg

正式に漢字で書くと「生馬麺」となりまして、
生(サン)は「新鮮でしゃきしゃきした」
馬(マー)は「上に載せる」と言う意味があります。
「炒めた新鮮な野菜や肉を麺の上に載せる」ということなのね。

このラーメンの分布はそう広くなく、
発祥の地横浜中華街を含む横浜を中心として、東はいわゆる関東地方全体にゆるく分布していて、西は静岡県東部まで。
言ってみれば、横浜中華街の中華料理屋で修行した人が、地元に戻って広めたという分布状態であるのと、
関東圏の味の風土を享受していて、関東圏との流通が容易い、そして関東圏の情報・文化を得られる地域。

この静岡県だと、
言ってみれば、関東キー局を見ることが出来るエリアと見事にラップするのね。
だから、静岡県西部で「サンマーメン」というと、前述のとおり「秋刀魚ラーメン???」と言い出すのね。

ここしばらく
サンマーメンを食べていないなぁ。
これからの季節、サンマーメンが美味しい旬がやってきたということだぁね。


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2012年05月07日

塩麹について考える

昨今、塩麹の完成品がスーパーで売られていることに驚く私。
行きつけの麹屋(ん〜麹屋の行きつけがあるというのも笑えるんだが、それ以外に行きつけの豆腐屋、行きつけの米屋、行きつけの醤油屋、行きつけの生鮮市場を持っている私)その麹屋の女将さんに「塩麹」のレシピを教わったのは、そうだなぁ〜味噌作りを始めた頃だから、かれこれ4年〜5年にはなるだろうかなぁ。

つまり、うちの冷蔵庫には、4年〜5年前から、常備品として塩麹が絶えずmaxで500g(原料麹重量)ストックされているということだぁね。

その発端はこんなかんじだったなぁ。
於:いつものいきつけの麹屋さん
あたい「この『塩麹の作り方』というのは?
    塩麹ってどういうものですか?」
おかみ「うちは麹屋でしてね、味噌も売っていますけれど・・・
    どうしたら麹を皆さんに使っていただけるか考えているんですね。
    どうぞこのレシピおもちください。」
あたい「あ〜なるほど。
    さっそく作ってみましょうね。
    え〜と麹を500gですか。」
おかみ「麹は1kg単位で売らせていただいていますので、
    (当時は1kg単位で、今はどうだろう?
     あたしはいつも1kg買ってくるのね。)
    500gの袋2つに分けてお渡ししますね。
    1つは次の時まで冷凍庫で寝かせておいてください。」

ちなみに、このいきつけの麹屋さんの麹は
1kgで¥800であります。

というわけで、塩麹を作り始めた。それが4年〜5年前のこと。

その時もらったレシピが
塩麹:500g
塩 :150g
水 :500cc

1)麹はほぐす。(麹屋さんのものは、いくつかの塊状態になっているので)
2)フタ付き容器(まぁ〜タッパだね)に入れ、塩を入れ混ぜる。
3)水を注いでかき混ぜる。
4)一日一回かき混ぜて2週間はフタをして常温保存。
5)それ以降は冷蔵庫保管。
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2012年04月24日

新幹線について考える

あたしの住んでいる静岡県三島市にあるJR三島駅は、
1964年に東京←→新大阪間が開通した東海道新幹線で、
『初期開通時点』におけるこだま停車駅設定以降に、唯一後に追加された新幹線停車駅が『三島駅』

あたしが幼稚園くらいの頃、
この新幹線ホームと車庫の位置は、貨物列車の引き込みエリアがあって、蒸気機関車が黒い煙を吐きながら貨物列車をあっちやらこっちやらもっていっていて、煙がぽっぽと右へ行ったり左へ行ったりしていて、面白かったのを覚えている。
まぁ、無理なのは当たり前だけれど、あれがそのまま残されていて蒸気機関車が動態保存されていたなら、もうすこし三島って観光的要素を持てたのかもしれないけれどさ、ちょうど江戸から明治に変わった時の日本伝統文化が「古く陳腐なもの」として排除されたのと同じで、『文明』的な近代科学技術っていうもの=新しきものが正義と誤って意識されてしまった結果なんだろうね。
まぁ、それは誰も責めることはできないし仕方のないことなんだろうね。
悲しいけれどね。

懇切丁寧に書きだしたにも関わらず、
「掛川と新富士があるよぉ」と言い出す人が絶対に居るので、詳細を書き出すと以下のとおり。
1964年(昭和39年)10月1日東海道新幹線開業
  開業時のこだま停車駅は12
  東京駅・新横浜駅・小田原駅
  熱海駅・静岡駅・浜松駅
  豊橋駅・名古屋駅・岐阜羽島駅
  米原駅・京都駅・新大阪駅
1969年(昭和44年)4月25日
  三島駅開業。
1972年(昭和47年)3月15日
  山陽新幹線新大阪駅 - 岡山駅間開業。

さてっ
この1964年から1972年
新幹線のウリは「揺れない」ということだったのね。
たしかに揺れなかった。
そして1972年3月15日
山陽新幹線開通特番が生で放送されて、MCの永六輔とその番組(たぶんNHKだろうな)の局アナが実際に列車に乗って、座席に付いているテーブルだったか、窓際のフラットスペースだったか忘れたけれど、ここに鉛筆を立てて、ずぅ〜〜〜っと「倒れない」という事を実証していたのね。
たしかにカメラが回っている時は倒れていなかった(「ずぅっと立っています。」と言っていたけれど、それが本当かどうかはわかりまへんなぁ。)

さてっこの新幹線の揺れというのが顕著になったのは、たぶん1976年(昭和51年)2月25日以降の若返り工事以降だと思うんだけれど・・・・まぁ〜これだけが原因というわけではなく、巡航速度を上げていったということもあるんだろうと思うんだな。そして「鉛筆が倒れない」という事象が必要なのかということもあったんだろうと思うんだな。
言ってみれば『過剰仕様』だぁな。

だれだって思うよね。
「多少揺れたって、安全に早く目的地についてほしい」てさ。

まぁ〜そんなところかな。

あ〜そうだそうだ。新幹線車両は『手作り』なのね。
あんがい、「えっそうなのぉ??」っていう人がいるのに、かえってアタシのほうが驚いてしまう。
車両=『車』=自動車=量産=ライン製造・・・というイメージがあるんだろうね。

だって、東京←→新大阪間を何台の車両が走っているか?厳密には分からなくっても
500台なんて断じて・絶対に走っていないでしょう。
300台・・・そんなに同時に走っているわけ無いでしょう。
時刻表見ればわかるでしょう。

それだけの車両しか走っていないんだな。機械化生産するほどの生産量は絶対に無い。
だから新幹線車両は手作りなのよね。

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2012年03月18日

バナナの皮について考える

バナナの皮を踏むと滑ってしまう。
この定説を元に『トムとジェリー』のトム。のみならずブル公。『じゃじゃ馬億万長者』のトマース銀行の頭取さん。『かわいい魔女ジニー』のバローズ大佐。『奥様は魔女』のスティーブンス邸のおとなりのグラディスさんの奥さん等限りない数の人々(時にお猫にお犬まで)がすってんころりんと転んできた。
っと、ながながと固有名詞を書き連ねてきたんだけれど、その定説をひっくり返そうとしてあたしはこの文章を書いているのではないんだな。
バナナの皮を踏むと滑るというのは、事実。

今日、あたしが書き出したいのは、バナナの皮の剥きの割れ、つまりバナナを食べるまでに至る皮の剥きの工程数に関する考察。
前述の『トムとジェリー』とか『ハンナバーベラ』アニメ等で登場人物(動物)たちがバナナを食べようとして皮をむく時、皮が向ける向きは3方向、皮を剥いて食べる前までは3工程。バナナの皮は三方割れなのね。
そのイメージを頭に浮かべながら、実際のバナナの皮をむくと、どうしても皮が向ける方向は4方向、バナナの皮は四方割れだった。

さいきん、やたらとバナナが安く売られているんだけれど、
『チキータ』とか『デルモンテ』ではなく、店頭で『フィリピンバナナ』と言って売られているもの。
以前はもっと大きかったように思うんだけれど、昨今のバナナって小さくなったのかしら?
それとも、ブランド物は相変わらず大きくて、何らかの理由である程度の自由化がなされて、それ以外のものが入るようになって小ぶりのものも入ってくるようになったのかしら???

最近、手に入るバナナの皮を向くと、どれもこれも三方割れなのね。
四方割れのバナナを探すほうがむずかしいんだよね。

子供の頃は、アニメのようにどうしても三方割れをしたいのに四方割れしてしまって、悔しい思いをし続けていたのに。あたりまえのように出来てしまうと面白くないんだな。

四方割れを求めてしまう私。

まぁ〜バナナの皮を剥く工程数を、能書きたれて考えているようなやつはなかなかいないだろうな。
posted by 宇之助 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(1) | ◯◯について考える

2011年12月03日

ペチカについて考える

慶應出身のダークダックスか
早稲田出身のボニージャックスが
歌っていたと思うんだが・・・・・
「雪のふる夜は楽しいペチカ・・・・」という歌。

子供の頃
「ペチカ」という物が一体どんなものなのかあたしは知らなかった。ただ、歌詞からすると『暖かいもの』であり『燃える』ということからストーブとかの燃焼装置であるということは(まぁ〜燃焼装置などというたんごはわかんねぇわけだけれど)なんとなぁく理解していた。

さてっ
森のエネルギー研究所』というところが編集に関わった「火のある暮らしのはじめ方」という本に、ペチカが載っていた。


薪ストーブ、家にあるペレットストーブ、と同類のものらしい。とはいうものの全景や図面が載っていないのでいったいどういう構造体のものなのかがさっぱりわからん。

というわけで、
いつものとおり安易にgoogle様に頼ってしまう私。

検索の結果はこんなところ。
1)「ペチカ」はロシア語でストーブという意味。
  厳密にはストーブのことを「ペチ」と呼び、
  最後の「カ」は○○ちゃん=子供。
  上記事項から、
  ロシアでは、
  ペチカ=小型のストーブ。
4)日本で言うペチカは、
  煉瓦でできた薪ストーブを言う。

煉瓦製の薪ストーブとは思いつかなかった。

んで、このペチカの長所は
1)熱容量が大きく室温が一定。就寝時に火を消しても翌朝に室温がぐんと下がることはない。
2)放熱率は小さく、放熱面積が大きいため表面温度は、触れて火傷を起こすことはない。
3)表面積が大きいから、室内空気への熱伝達もあり、対流と表面からの軟らかい輻射熱で快適。

一方、欠点
1)熱容量が大きいので、室内温度の調節が困難。ペチカの温度はすぐに下げられない。
2)一般的なストーブに比べて、占有空間が大きく、取り外し不可(据え置き)

そして
特筆事項として
薪ストーブに比べて薪の使用量がすくない。
薪ストーブは主として広葉樹専用となるけれど、ペチカは針葉樹を燃やすことが可能
薪ストーブは燃焼の最発生するタールが高温になり煙突火災を生じるが、
ペチカは煉瓦への熱伝導が大きいため、構造上タールが付着するけれど、発火温度の260度になることが無いため煙突火災が起こりにくい。

また、仕組みさえわかれば自分で作ることも可能。

あっちこっち探すと、ペチカを自作している人が結構多いのね。
いやぁ〜〜〜驚いた。

ペチカの構造を簡単に図で表しているのはここかな。
posted by 宇之助 at 18:44| Comment(3) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年12月01日

マーク・トウェインについて考える

11月30日はマーク・トウェインの誕生日なんだそうな。

マーク・トウェイン(Mark Twain)というのはペンネームで、本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)というのね。

StarTrek The Next Generationに、クレメンズが登場した話があるのね。
第5シーズン・フィナーレ(最終話)と第6シーズン・プレミア(オープニング)
第126話「タイム・スリップ・エイリアン」(前)Time's Arrow, Part I
第127話「タイム・スリップ・エイリアン」(後)Time's Arrow, Part II
これに登場してくる。


この中で、クレメンズが19世紀から24世紀に移動してしまい、NCC-1701・Dエンタープライズに来てしまった時、副長 ウイリアム・ライカーが「マーク・トウェインが消えると、19世紀文学の巨匠が消えてしまうことになるんですよ。」という台詞を発しているのがけっこうおもしろいんだけれど、それはさておいて・・・・・

クレメンズ(マーク・トウェイン)を演じたジェリー・ハーディンという俳優さんなんだけれど、マーク・トウェインそっくりなのね。
マーク・トウェイン画像

この2話は、結構楽しめたのでありますね。
posted by 宇之助 at 04:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年09月28日

汽車土瓶について考える

これが汽車土瓶
IMG_0666.JPG

今はもう駅のホーム等でも売られることがなくなったものなんだけれど、駅弁にお茶というと、これが定番だったんだそうな。

汽車土瓶
  ↓
プラスチック容器
  ↓
発泡スチロール容器
  ↓
ペットボトル

時代の流れと共に、容器は変わってきたけれど、エコ、省エネルギー、再利用ということを考えた時、やっぱり汽車土瓶に勝るものはないんだろうね。

とはいえど、
やはり容易く持ち歩くことができる。運搬が容易いということからすると、
現代のペットボトル全盛になってしまうのは仕方ないことかも知れないね。

さて、写真のものだけれど、
これは信楽焼のもので、かって駅弁と一緒に売られていた時、製造を担っていた信楽学園が2008年に復刻させたものなのね。
一個¥300+送料・代引き手数料で購入可能でありますね。
当然のことながら、一個だけだと商品価格よりも送料・代引き手数料が高くつくということでありますので、ご注意くださいませ。

もう一箇所
岐阜県多治見の美濃焼で、陶人舎という窯元が作り出したものがあるんだよね。
1980年代末、テレビ朝日(当時はNET)のEat9(愛川欽也・司会)で創りだされた、小淵沢駅・駅弁「元気甲斐」と共に売られた汽車土瓶はここのもの。
posted by 宇之助 at 20:25| Comment(2) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年09月24日

ミラーレス一眼レフについて考える。

え〜とオリンパス・ペンがミラーレス一眼レフとして復活してきたのは、去年のことだったように記憶しているけれど、おやっ?今年の春だっただろうか?
宮崎あおいがイメージキャラクターだったから、記憶している人も多いと思うんだよね。

んで、何日か前に登場したNikon1
Nikonが出してきたということは、当然のことながらキャノンも出してくるというのは周知の事実だァね。

オリンパス、ニコン、キャノン
となると、あと登場してくるのは・・・・・・
富士フィルム

アサヒペンタックス
ただ、ここは『旭光学』としては存在していないのねぇ。いまはHOYAの子会社になっているよね。往年のpentaxというブランド力はどうなんだろう???
ミノルタ
ロッコールレンズの美しさって有名だったんだけれどね。オートフォーカスをカメラに組み込んだのはここが一番最初だった。あの宮崎美子のCMがそうだったよね。いまは、SONYに吸収されてしまった。
まぁ〜この6社にパナソニックとカシオが加わってというところかしらね。

さてっミラーレス一眼レフそれぞれのメーカーの相違点って、レンズのオートフォーカス機構の各メーカーの制御方法とCMOSセンサーの受光パターンの2個しかないんだろうと思うのね。
鏡がないからレンズから入ってきた光をCMOSセンサーで受け取る。ミラーレス一眼レフはこの光を2つの用途にわけないといけないんだな。
CMOSセンサーパネルは1個。そしてCMOSセンサーは2つのことはできないんだ。
でも、やらなければならないことは2つあるのね。「光を液晶パネルに映しだすために渡すこと」と「光を『撮影』のdataに使うこと」

CMOSセンサーパネル表面が100%使えれば、見たものがそのまま写る。ということで、ミラーレス一眼レフとして画期的なことなんだろうけれど、この世にそんなものは存在していない。

何%は、裏面液晶パネル表示のための受光にあてがわれているはずなのね。つまり撮影の盲点になるんだよね。この盲点をソフトウェアを使って『補完』しているはずなんだよね。

たぶんカメラ雑誌等を見れば「CMOS素子の受光パターン比較」とか出てくるだろうね。
だからど〜だってわけではないんだが・・・・・
posted by 宇之助 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年09月23日

iPhoneについて考える

さてiPhone
あたしと奥さんのiPhoneは3GS。
もうすぐ4が出てくる3〜4ヶ月前に、さすがにそれまでの携帯電話がへたってしまって、変えるようになったのね。
あたしの形態はdocomoのpreminiでmova仕様でどちらにせよその年の7月か8月までの寿命だった。
奥さんのものは、fomaで、バッテリーがへたってきたのと、なにやらおかしい。
というわけでナンバーポータビリティをして、docomoからsoftbankに移り、iPhoneに変更したのね。
電話としては最低の電波強度なんだわな。
wifi設定をメインにして電話としての機能は最小限にしても、掛かってくる電話を受ける、あるいは、「あ〜それでは電話しよう」という時に掛けられない。
ホームアンテナを自宅内にセットして、勤め先のあたしのいる場所にはホームアンテナを取り付けた。
でも網羅できるエリアが狭いんだよね。

pocket-wifiとか入れて、スカイプ等で利用するか、auが電波強度強いなら、それにするかなぁというところなんだな。

じつは、
4ヶ月か6ヶ月に一度、お勤め先におとまり「宿直」なるものがあるんだな。
あたしの勤め先の前統括者=いわゆる支店長がバカタレで、
この宿直業務はシルバー人材に委託しているのに、月に二回職員がわざわざやる羽目になっている。これが「緊急時の夜間対応が円滑に・・・・・」ということが実際に対応できるなら文句は言わないわな。
とっころが、これを言い出した当の本人がこの宿直業務をするとその宿直日誌には作業内容のチェックは何もされておらず、翌朝「あれがされていない。」とか「ここはoffになっていない。」とか朝になってクレームが山ほどやってくる。
意味のないことなんだよね。まぁ〜〜馬鹿が決めてやることは馬鹿でしかない典型なんだな。

一度動いているものを止めるってぇことは勇気がいるんだよね。
だからその内容はそのまんまなんだな。

さて本題。
この宿直室というやつが、電波が入らないんだ。ソフトバンクは。
ホームアンテナの位置からは遠い。
おまけに無線LANの範囲からも離れている。

ソフトバンクの非力さにはまったく悩んでいる。
poketwifi、UQ-iMAXとか考えるんだけれどさ、auが十分な電波強度持っているならそのほうがいいんだろうかな???

でもwifiでつないだほうが高速なろうから、それならwifi専用機にしてしまえばいいんだよね。
どうしたもんだろうかな
posted by 宇之助 at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年09月14日

夢について考える

どうもあたしの「夢」というものの視点が変わってきているように感じるんだな。

ん〜視点という概念が正しいかどうか分からないんだが、
あたしの『夢』というものが、あたしの思考回路と密接に絡み合っているとするならば、いつから変わってきたんだろうかな。

以前のあたしの夢は、いわゆる「TV」の視点、TV業界や小説で言う所の『神の視点』
夢というものをあたしは神の視点で見ているものがほとんどだったんだけれど、
最近の夢は、どれも『一人称』=登場人物の視点なのね。

正直な所、現在の『一人称』視点というのは嫌いなんだな。
どうも私小説的でいやなのね。
2010年の芥川賞受賞作の私小説があった。
「いやだなぁ〜私小説かぁ。まぁ〜読んでみるかな。」と思ったら、やっぱりあたしには苦手なものだったのねぇ。

どうも私小説は苦手なんだな。
んでよりによって、あたしの夢の形態が、大嫌いな「私小説風」になっているんだよね。
参ったなぁ。
posted by 宇之助 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年09月10日

時をかける少女について考える。

筒井康隆作品における二代ヒロイン「芳山和子」が登場する作品。
もう一人のヒロインは『七瀬3部作』と呼ばれる家族八景の系譜に登場する「火田七瀬」。

さて、この『時をかける少女』
劇場映画化作品は4つあるのね。
(テレビでの放映は別ね)

1983年 『時をかける少女』((旧)角川春樹事務所)
 主演:原田知世
 監督:大林宣彦
 最も原作に近い作品。
 原田知世の映画デビュー作品。通称『尾道三部作』の一つと呼ばれる。

1997年 『時をかける少女』((新)角川春樹事務所)
 主演:中本奈奈、監督:角川春樹
 元角川書店社長角川春樹氏が、角川書店を退職した後に、創り出した作品。
 スタッフ、出演者等は、角川春樹氏の元に手弁当で駆けつけたという。
 あたしの記憶では、出演者リストのなかに、たしか早見優が居たように
 記憶しているんだけれど・・・・違ったかな?
 ナレーションが原田知世だということは知っているんだが、
 じつはあたしはこれを劇場で見損なっているんだよね。
 4作の中で唯一見ていない作品。


2006年 『時をかける少女』(アニメ映画)製作:「時をかける少女」製作委員会、
 配給:角川ヘラルド映画
 監督:細田守
 原田知世版の23年後を舞台とした作品。
 『芳山和子』は、主人公『紺野真琴』の姪、
 そして、図書館司書として登場するんだけれど、
 1983年版では、芳山和子は、
 薬学部に入学してその後大学院に進んで助手になっているので、
 同一人物ではないのね。
『紺野真琴』の声は仲里依紗が演じている。
  そして『芳山和子』の声は原沙知絵が演じている。


2010年 『時をかける少女』
 製作:映画「時をかける少女」製作委員会2010
 監督:谷口正晃
 原作者筒井康隆が、唯一認めた「時をかける少女」の続編。
 主人公は『芳山和子』の娘『芳山あかり』
 『芳山あかり』には仲里依紗
 『芳山和子』(現在)は安田成美が演じている。

 欲を言うと、原田知世に登場して欲しかったけれど、
 主人公の母親役としての存在を考えた時、
 原田知世に、この安田成美の「明るい&母親としての存在感」は
 なかなか難しいように感じられるんだよね。
 前作のアニメ版の図書館司書として、物静かな憂いを持った
 主人公に指針を与える役どころであれば、適任であろうと思うんだな。

 それと、安田成美のヘアースタイルが、
 1983年のエンディングの原田知世のヘアースタイルが、
 母親として存在していった時「あ〜こういう感じに進化して行っているのね」と
 思えるんだなぁ。
 NHKの連続テレビ小説「てっぱん」で強い母親を演じただけのことはあるなぁと
 感心するのねぇ。
 さすが『風の谷のナウシカ』だぁね。

 この2010年 『時をかける少女』
 主人公の仲里依紗が、大学合格して、高校の弓道部の最後の日のシーンがあるんだけれど、
 この部分、
 1983年のエンディングの原田知世の主題歌にのせた映像までしっかり見た人間には、
 「あ〜〜〜〜〜〜このシーン、それをそのまま本編に持ってきているぅ!!」と
 おもわず指さしてしまう。

 このエンディングは、一部分NG特集になっているのね。
 原田知世が真剣顔で弓道シーンで弓を引いているところで、矢をぽろっと落としてNGで、
 笑いが溢れる映像があるのね。

 この部分を2010年版では仲里依紗が、映画本編でぽろっを本編として演じている。
 こぉれは驚いた。
 
映画「時をかける少女」製作委員会2010制作の
2010年『時をかける少女』 オススメであります。
 
posted by 宇之助 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年07月25日

アナログ放送について考える

アナログ放送は大きく分けて3つだったかな。
NTSC:日本・アメリカの放送方式
PAL:イギリス、アフリカ、オーストラリアの放送方式
  (やっぱりイギリスとかの植民地だった所が多いのよね。)
SECAM:フランス、フランス植民地だった国、旧ソ連

1953年(昭和28年)2月1日 - 日本放送協会 (NHK) がテレビ放送開始
1953年(昭和28年)8月28日 - NTV 日本テレビ放送網、テレビ放送開始
ということなんだけれど、
テレビ放送免許は、日テレのほうが早いのよね。
それも当時の通商産業省からの免許ではなく、GHQからの発行免許で、
これが、1952年7月31日に発行されているのね。

商用放送は1953年だけれど、
この画面に映像をだすというのは、高柳健次郎が「イ」の文字を
1926年(昭和元年)12月25日に出したのが始まりなのね。

その後のアナログ放送のチャンネル設定はいろいろとごたごたが起きていて、
高柳健次郎は、そのごたごたに嫌気がさして研究世界に戻っていったといえるんだな。

当時のチャンネル設定は、その周波数の固定が真空管を使ったものであったので、不安定であったために日本に振り分けられたVHF周波数帯=チャンネルを幾つ飛びに放送チャンネルを割り当てるか=キー局の放送局数を設定するか
という問題に直面することになったのね。

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10,11,12

この12のチャンネルを2つ飛び=つまり最大4つと答申したのね。

一方の八木秀治(八木アンテナ発明者:元内閣技術院総裁)は、
1つとび=最大6つと答申したのね。

この時八木秀治は、
「周波数の固定の不安定は、真空管等の機器によるものであるため、将来的に高度集積回路が発明発展されれば、この問題は解決できることは確実である。
この将来的展望を考慮し、技術の進歩というものを考慮できなくて、何が技術だ。」と国会で答弁したのね。

この発言によって、日本初の放送免許は日本テレビに与えられて、(GHQにより)
VHFのチャンネル割り当ては2つおき
1,4,6,8,10,12となったのね。

1と4のあいだが2つおきなのは、NHKが2つおきに固着したため、
1,4,7,10ということを想定していた名残なんだろうね。
放送設備が真空管からトランジスタに進化した結果として、
1959年(昭和34年)1月10日に、NHK教育テレビジョンとして放送を始めたというわけなのね。

八木秀治の考えは正しかったわけだぁね。
posted by 宇之助 at 06:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年07月20日

俳優『原田芳雄』さんについて考える。

1972/01/08〜1972/04/08に日本テレビで放送されていた『3丁目4番地』という番組があるんだけれど、知っている人はいるだろうかしら?
脚本は倉本 聰
主題歌がビリーバンバンの「さよならをするために」(作詞・石坂 浩二)

『2丁目3番地』の続編。
そしてこの番組の後継は、やたらとタイトルの長いシリーズ。(たとえば『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』)というコメディシリーズで、コメディといえば日本テレビと言われていた時代の作品。

出演者は、浅丘ルリ子、森光子、嵐寛寿郎、石坂浩二、岡崎友紀、田村奈己、岡田真澄、大原麗子、藤村俊二、水森亜土、寺尾聡、黒沢久雄、そして原田芳雄。

浅丘ルリ子と岡崎友紀は姉妹で、岡崎友紀は大学受験を控えた受験生。
そして森光子が母親で、下町で下宿屋を営んでいる。
下宿人は石坂浩二。
そして、ここの空室に下宿人としてやってきたのが、
気象庁の天気予報官である原田芳雄だったのね。

岡崎友紀が大学受験で落ちて、どこか行方不明になって、家族・下宿人・町内の人々総出で探し回っていて、原田芳雄が公園でブランコに乗っている岡崎友紀を見つけるのね。
「おれの最初の天気予報dataは『快晴』でさ。天気予報で『明日は、満点の快晴です。』って放送したんだ。そうしたら翌日は大雨でなぁ・・・・」
というセリフが妙に頭に残っているんだよね。

wikipediaで、原田芳雄を検索しても、出演テレビ番組に『3丁目4番地』出てこないんだけれど、
テレビドラマデーターベースで、「3丁目4番地」を検索するとしっかり出てくるのね。

1972年かぁ・・・・
あたしは小学校6年生か中学1年生だったかな?


ご冥福をお祈り致します。
posted by 宇之助 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(1) | ◯◯について考える

2011年06月16日

本屋さんについて考える

何ヶ月か前に、TVの何かの特集が組まれていて、その対象となった40代男性の一人が『一年に一冊本を読むかどうか』と言っていたのに愕然としたのを覚えているのね。「こんな人間が居たのか」と。そして、この人は本屋に行かないと言っていた。

ふと考えると、あたしも本屋さんに出かける頻度というものが減ったと感じる。
しかしながら、本というべき物に接する機会が減ったかというとそうではなく、逆に『読む』という数量は増えていると思うんだな。

欲しい本は、まず『楽天ブックス』と『アマゾン』で買う。どちらも送料無料の契約をしてあるから店頭と同じ金額で手に入る。

もうひとつ、何故にこれらのshopを使うかというと、書店では欲しい本が手に入らない事が多いんだよね。
求めている『AAA』という書籍があったとする。
本屋に行って、この書籍の該当するであろう分類体系『ジャンル』『著者』等で探す。
こういうときに検索端末等があって、「店内在庫なし」とか「◯◯にある」「在庫数3冊」とかあれば無駄な時間を過ごさなくて良いのだがなぁと思うことが多々あるんだが、そのような検索端末が網羅されている書店はそう多くない。

欲しい本が明確にある場合には、オンラインの方が確実に手に入る。
書店店頭に無く、そこで頼むと間違いなく何日も待たされる。
同じ待つなら、流通待機時間が短いほうが良いと思うのは、読者・購入者の希望だァね。

漠然と『本を探す』という場合は、やはり本屋なんだよね。あたりまえだけれど。
ただこれをすると無駄遣いが多い場合があるのよねぇ。
最近本は高いんだよね。
文庫本ですら1コイン(500円)で買えないものが多いんだよね。
もともと文庫本って、出版社のサービス品&著者への還元品(印税収入)という意味合いが大きかったという話を聞いたことがある。
出版の際の紙の裁断の余り部分で作り出された本が文庫本で、主として『旅』という場でバッグに入れて邪魔にならないという用途に用いられたと言われる。だから駅の売店キオスクなどでは、伝統的に文庫本が置かれているという。

これが格段に価格が上がったのは、角川文庫が映画・TVCM・書籍販売・音楽のトータル戦略をおこなうことで文庫本の価格を上げたことから生じているのね。
いやはや。

posted by 宇之助 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2011年05月08日

本について考える。

『本について考える』って言ったって、世の中の『本』という文化についてなぁどというようなだいそれたものではなく、ただ単にあたしが読む本の傾向というものを思い起こしてみるだけなんだな。

1980年代・・・1982年頃〜1990年頃
筒井康隆・広瀬正・星新一等のSF作品がともかく多かったねぇ。あとはApple関係、それもApple][(Apple2)関係の洋書が多かった。だってApple2の書籍って日本語になっているものが無かったんだもの。当時日本橋に本店があった(高島屋日本橋の向かいね)丸善に行って買ってきていたんだよね。それも改装する前の3階が洋書売り場でコーナー(角)にタイプライターが置かれていたのが思い起こされる。Computerの棚を隅から隅まで探して買ってきていたんだけれど、当時$1=¥130というところだと思ったけれど、丸善レートは$1=¥230というような状態でね、買った洋書の裏表紙の下のほうにレートが鉛筆で書かれてあるんだな。

1990年頃〜2000年頃
Mac関連の書籍が増えてきていたよね。それと1995年ころからはインターネット関連のものが増えてきて、それにもまして増えてきたのが料理関係の書籍だよねぇ。
それとぉ・・・StarTrek関連(TNG,VOYAGER)だぁね。

2000年頃〜2004年頃
料理関連がダッチオーブンとか燻製とか酒とか偏ってきているんだな。

2004年以降
まぁ〜ともかく『猫』関連が多いわなぁ。

一連の傾向に関して、いわゆる「ビジネス」系の書籍というものはほとんど無いんだよね。それはあたしが「リーマン」系統というものがで〜〜〜きれ〜〜だから、「仕事のための・・・・」というような『第一におしごと』なぁどというような本はぜってぇ買わない。

これだけは、古からかわっていないんだよね。
posted by 宇之助 at 00:09| Comment(2) | TrackBack(0) | ◯◯について考える