2013年03月12日

あの日

2年前の3月11日は金曜日、天気の良い日だったのを覚えているんだよね。
あと3時間でお仕事おしまい。
「あ〜あと3時間だぁねぇ。」とぼんやりとしていたんだな。

突然・・・というより、ゆっくりと揺れは始まった、長い周期の横揺れが徐々に大きくなってきて、誰かが「地震!!」と言い出すまで気が付かなかった。言われて「あ〜たしかに」と。でもそれはだんだん大きくなってきた。
1階のフロアのほぼ真ん中の自分の机の位置から見える窓の外は職員駐車場の後ろに控える森。風がないのに強風に煽られたように木々の先端が左右に大きく揺れている。

ただこの時、
誰もが「この程度の緩慢な揺れだったら、すぐに収まる。」と思っていた。
でも、長〜いサイクルの横揺れは、ある程度の大きさを持ち、そして一向に収まらないで・・・・・突然、あたしの後ろの非常用ブザーが鳴り出して、非常用発電機の大型ディーゼルエンジンが黒い煙を吐き出して、起動し始めた瞬間、すべての電気が消えた。

誰かが「こういう時は避難用に窓を開けなくっちゃねぇ。」と言い出して窓を開け始めた。「おおっそれでは扉を開けてきましょうねぇ。」と正面玄関の二重の自動ドアを開きに行った。
自動ドアの扉上部の真ん中センサーに手をかざす。『開かない!!』
「もぉ〜また誰かメインスイッチをOFFにしたなぁ!!こんな時にバカタレが。」と思いながらメインスイッチを見るとONになっている。この時改めて「あ〜そうだ停電だった。」と気がつく。
まだ揺れはおさまっていない。
落ち着いているようでもやはり慌てているんだなぁと思う。手動で自動ドアを2つ全開する。

地震が収まったのはどれくらいたってからだろうか??
倒れたものもなく、ケガをした人間もなく、静寂の時が続いた。
停電はそのまま。
この時、やはり誰もが「この程度の地震だったら、すぐに電気がつく」と思っていた。
しかし、待てども待てども天井の照明は点いてくれなかった。
全ての電気がない状態で、周りがどのようになっているのか全く情報が入らない。

しかたないので、あたしの車を正面玄関横に持ってきて、TVをつけた。(地上デジタルが映し出せるようになっているからね)TVが付いた途端、鳴門の渦潮が映し出された。
鳴門の渦潮のように見えたのは津波に巻き込まれる家々だったのに気がつくのに、しばらく時間がかかったのを覚えている。この時初めて、さっきの地震がとてつもないものだということを理解した。

非常用コンセントにコンセントドラムをつけて、電話交換機、CTU、ONU、ルーター系を復旧させて、電話(ひかり電話なんだな)を復旧させた。
このあと随分たってから、Note-PCを持ってこさせて、インターネットを復旧させ手探りで情報を集めた。

家に帰宅し始めたのは、22:00を過ぎていたように思う。
御殿場市を抜けるまで、交差点の信号が停電で消えている所、発電機で復旧がされている所、通電しているところとまだら状態で、危険この上ないので交差点は常に徐行。
ちなみに、この地の電気が復旧したのは翌日の午前3:30だった。

ウチの奥さんは、大阪にセミナー出席。
我が家を守っているのは、お猫の宇之助だけ。

IMG_1590.JPG
家に入ったら、宇之助が「うにゃぁ〜」と抱きついてきた。
抱きついて、おもむろに「ごろごろ」を始めた。
でもやっぱり地震は怖かったんだね。
心配したんだよ。
でも、なかなか戻ってこれなくてごめんね。

長い長い一日がやっと終わったのを覚えている。
それがあたしの記憶。
posted by 宇之助 at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然・そこはかとなく
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