2009年10月12日

The Games of the XXXI Olympiad(第31回オリンピック競技大会 Tokyo)

オリンピックの招致を広島・長崎がするんだとさ。
先週か先々週、東京が・・・・と言っていたばかりなのになぁ。
コンパクト化がど〜〜のと言われているのに、
広島・長崎間って450kmくらいなかったかぁ???
飛行機つかうわけだけどさぁ、その2箇所を移動しないといけなくなる人間のことをなぁんも考えていないべ。
2020年の開催地決定はまだまだ先のことで、きっとその頃には、忘れられていることだろうね。
4年後か??

東京オリンピックは落選したわけで、
そりゃ〜〜当然だろうなぁと思うわけだぁね。
都市の有利性とか、安全性とか、アクセスの良さとか
この時代に必要不可欠である事項だということはあるんだけれど、東京が、
もし初めてのオリンピックであれば、
「オリンピックを『まだ』開催していない状態で、
 これだけの情報環境が整っている。
 安全性が確保できている。
 物理的アクセス環境が整備されている。」
となるだろうね。

それだったら
余地という物はあっただろうけれど、
2度目の東京開催なんだよね。
・・・・ということを考えると、
上記の言ってみれば
『開催地のハードウェア』的なもの以外の
ソフトウェア的な環境=国際的な成長というものが、
満たされていないと判断されたのだろうと思うのねぇ。

つまり
見る側の人間=日本人がオリンピックで開催されるスポーツを視聴する状況を見れば一目瞭然であるわけだぁね。

たとえばね、
ゴルフにしてみても、見ているのは『ゴルフ』ではなく石川遼。
メジャーリーグにしても、『野球』そのものを見ていないで、『松坂』や『松井』『イチロー』しか見ていないんだよね。
だから、彼らが所属しているチームが、どういう状況で、どういう状態でその日勝ったのか、負けたのかということ
そのスポーツが最もその特徴を表している事項そのものを日本人は見ていない。

そのスポーツそのものを見ることが出来ない。

一つの『競技』がある国で創り出され、オリンピックという舞台で華開き、多数の国の人々によって『スポーツ』という形で世界統一規格の上でTOPを選び出す。
その『祭り』的な要素を楽しむ&鑑賞する、そしてその競技そのものを『賛美する』ということを日本人は出来ない。

つまりは日本人は『競技』を見るという『大人のスポーツ鑑賞』ということが出来ていない。
やたらとでかい日の丸の旗を振って、その競技そのものを見てないでしょう。
競技をライブ鑑賞しようという人々の邪魔になるだけだよね。
映画館やライブでガキが興奮して会場を走り回って周囲の人間達に迷惑を掛けている状態。
これが日本人のオリンピック鑑賞状態なわけね。

つまりは、
1回目は『国』というものを大人にするための
『触媒』としての開催だと思うのね。
2回目は国民が大人として存在していると、
多国が認めて初めて開催が認められるのね。

まぁ〜それを考えると
と〜〜〜ぶん無理だべ。

とあたしは思うんだがなぁ。
自国を見るではなく、その視点を排除して
『スポーツというものを見る』
という視点で見てご覧なさいませ。
posted by 宇之助 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然・そこはかとなく
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/32854481
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック