2008年07月27日

平賀源内 その弐

「土用の丑に鰻」を定めたのは平賀源内であるということを
いまだに知らない人がいるんだよねぇ。
これほど有名なはなしなのにねぇ。

いまさらという事なんだけど、
そのあらすじを書き出しますれば・・・・・
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西暦759年頃、万葉集が編纂され
その第16巻に、大伴家持(おおとものやかもち)が
友人の吉田石麻呂に宛てた歌が収録されている。
吉田石麻呂はひどくやせていて「形、飢饉(ききん)に似たり」
つまり飢饉の時の餓死寸前の民と同じような
やせ細ったような状態だったといわれている。
そこで家持は詠んだ。
「石麻呂に我もの申す夏痩(なつやせ)に
 よしと云(い)ふものぞ
 鰻(うなぎ)捕り喫(め)せ」
(訳:こりゃ石麻呂!!ちょいと言って聞かせちゃるわい。
 おめ〜のように夏やせしちゃった奴に『こりゃぁ〜〜ええどぉ』と
 いうもの教えたろう。
 鰻捕ってそれを食うんぢゃい。)

さてっ
それから1000年ほど後の江戸時代後期、
神田駿河台で一人の非凡な男が、この万葉集を読んでいたという。
まぁ〜正確にはそれ以前に読んでいたと言った方が正しいだろうね。

夏の暑い時、駿河台の鰻屋が屋敷に飛び込んできた。
「先生、こう暑くっちゃ鰻が売れやせん。
 なんとかなりやせんか。
 このまんまぢゃ、一家心中しなくちゃなんねぇ。
 先生なんとかお願いしますよぉ。」

そこで、この先生は考えた。
「鰻と言えば『大伴家持』、『大伴家持』といえば夏に『鰻』
 土用の丑に『う』の字がつくものを食べると夏負けしないといわれているから・・・・
 『土用の丑には鰻』だな!!」
というわけで、
やにわに筆を持って、傍らにあった紙にさらさらと文字を書き出したという。
「良いか、これを店先に張るのぢゃ。そうすれば客が来る。」
と言って『本日丑の日』と書かれた紙を渡した。

「源内先生、ありがとうございます!!」と言って
鰻屋は帰って行ったという。

そして言うとおりに店先に紙を貼ったところ、千客万来・大繁盛となり、
他の鰻屋もそれを真似るようになった。

西暦1822年(文政5年)
当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている事実。

この『本日丑の日』が、
日本で初めての「コマーシャルメッセージ・コピー」と言われ、
そしてこのコピーを考え出した人物、平賀源内こそが
日本初のコピーライターであり、
土用の丑の日に鰻を食べる風習を定着させた人物なのね。
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消費者心理。
Excerpt: お友達のうーたんパパさんが「土用の丑」と平賀源内の話を書いておりますね。 http://unosuke-cat.sblo.jp/article/17359882.html いやいや、大筋は知ってました..
Weblog: 兎丸の好日日記
Tracked: 2008-07-27 17:20