2016年08月03日

もう一年なのね。

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宇之助は、
昨年2015年8月2日の朝5:00に動物病院で息を引き取りました。朝4:00頃までにてんかんの発作を繰り返したため、動物病院で治療をしていただいたんですが、その直後にガクッと崩れ落ちて、心臓マッサージ等をしていただいたのですが亡くなりました。ただ腎臓の状況が芳しくなく体重がその前の年から減り続けて、6キロ以上あった体重が3キロくらいまで減ってきていました。
いつかはと覚悟はしていましたがその日が来て欲しくはなかったのは事実ですね。
ただ長患いで、これ以上痛い思いも辛い思いもさせることなく虹を渡って行きました。
あと1週間で11歳というところでした。
その日は日曜日でした。
『宇之助』が虹を渡って行って、いつか後任のお猫を迎えましょう。出来ればお留守番の時に寂しくないように2匹迎えましょうと言っていて、どちらかが黒い子であったなら『宇之助』を伝承し、そうでなければ『助』の一文字を引き継ぎましょうと決めておりました。
そしてもう一人のお猫には、用意していた名前が
『源内(蘭学者・平賀源内より)』、
『文左衛門(豪商・紀伊國屋文左衛門より)』、
『辰五郎(徳川慶喜のSP、勝海舟の懐刀、火消し・鳶の神様と称される新門の辰五郎より)』の3つでありました。
またこの3つの名は、もし宇之助の傍に迎える時の猫の名前の候補でもありました。
8月2日に黒お猫宇之助が虹を渡って一月後の9月4日の夜、同僚の女性の家に後に福助とネーミングされる猫が飛び込んで来ました。その夜遅く「どうでしょう?」と電話がありました。間髪入れずに「お迎えします。うちに来ていただきましょう」と言ったのを覚えています。妻は大阪にセミナーに出席していて、事後承諾で連絡をしたところ「1匹?兄弟はいないの?」と言ってきたのを記憶しています。
この時の私たち夫婦の猫のスタンダードは亡くなった宇之助であったわけです。
(実際には宇之助は猫としては異質中の異質であったわけでしたが、他に猫を飼っていなかったのでそれがスタンダードなわけです。)
晩年の宇之助は、非常に寂しがりであったため「次に来てもらう時は2匹一緒に」と夫婦で決めておりました。
その1ヶ月後の10月中旬にまた同じ同僚の家にお猫がやってきて時間差とはなりましたが2匹目を迎えることができました。
まぁ当初我が家の方が『普通のお猫』非対応であったため、この二匹目の子は里親の会のお宅に行って去勢+マイクロチップがなされました。
12月の中旬。「もしあの子がまだ里親が決まっていなかったら」と言うことで連絡したら、リクエストが何軒かきておりますが、ひょっとすると兄弟かもしれないのでと言うことで我が家に、最優先でお試しで迎えることができクリスマスの12月25日に来てもらい翌年1月3日に正式な契約&去勢+マイクロチップ費用をお支払いして我が家の子になりました。
最初の子は後ろ足は足袋を履いているように白く、足袋と言えば『フクスケの足袋』、当初の決め事の通り、宇之助の名前から一文字『助』を貰って『福助』と名付けました。
二匹目は
仮名で「五郎丸」という名前であったのですが、誉れ高い名前であったためどうしようと思いましたが、我が家に迎えた最初の猫『宇之助』に礼を尽くして、名前をかえさせていただくことにしました。
前述の3つの候補から、
『五郎丸』の『五郎』を頂戴し『辰五郎』とさせていただきました。
宇之助が居なくなってから1年『福助』は宇之助を知らないはずなのに「絶対に宇之助に教わったとしか思えない。」というような仕草、習慣をしてくれることがありまして「どこで『うのくん』に教わったの?きみは。」と驚いたり、かと思えば宇之助には何も心配しなくてよかったのに、新参者・福助&辰五郎はあまりにも『普通の猫』で、やたらと台所の調理台の上に飛び上がって、つまみ食いしてしまう心配をしなければならない事に毎日びっくりしております。
宇之助が居てくれたら、このふたりに色々教えてくれたんだろうなぁと思いますが、もし宇之助が健在であったら私達夫婦も電話をしてきた同僚のお姉さんも我が家に新たなお猫をということは考えもしなかったでしょうね。(彼女は、宇之助が我が家に来る時も立ち会ってくれました)
やはり宇之助が「僕の後任だからね。」と連れてきてくれたんでしょうね。そしてまた「僕は一人でお留守番が寂しかったので、もう一人後任を派遣するからね。」と言って『辰五郎』を我が家に連れてきてくれたんだろうと思います。
妻のカイロプラクティック診療室の室長は、いまだに『宇之助』で、
『福助』『辰五郎』は、診療室の扉(引き戸)が少しでも開いていると貞子のように入ってきて『よく来たなぁ』と挨拶にやってくる態度の大きい『丁稚小僧』です。
ありがとうね
『宇之助』さん。
これからも見守ってね。
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2015年09月26日

フリントリバーランチ キャットフードに悩む

さてっ
猫のごはんは悩みます。
先代の宇之助が我が家にやってきた2004年11月のこと。「この子を飼ってやってくれませんか」と連れてきてくれた方が何種類かのキャットフードを一緒に下さった。「さて?どれにしたものだろうかなぁ?」と悩みつつそれらをあげていくと、ピタッと食べなくなってしまった。
体重が0.9kg〜1.1kg、生後3か月と言うところだっただろうかな?どんどん食べて大きくなってねぇという時で、本当にあせったのね。

動物病院でうかがったところ、猫と言う動物は、非常に偏食で味が濃い=おいしいと認識してしまう。そのため、いろいろなキャットフードを与えていると、アジの薄いものが来ると一切食べないということが起きるそうで、対策として、同一のシリーズで2〜3種類の味のバラエティがあるものを交互に与えていく事で、偏食・飽きというものを防ぐことが出来るとのこと。
1歳までは『カルカン子猫用』のパウチを与えていた。1歳を超えて尿道結石を発症したため、それ以降、亡くなるまでは療養食だった。
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さて、宇之助の後任でやってきた福助は、ともかく食いしん坊。
目いっぱい食べて満腹になると本当に満足そうに寝ている。
宇之助もあきれかえっているんだわさ。
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家に来るときに『シーバ・子猫用』と『モンプチ・子猫用』をもらった。
昨今有名な『シーバ』で、何人かが「シーバをあげたら、他のものを食べてくれなくなった。」と言っていた。いただいたシーバが無くなりかけていたのでホームセンターに行って探してみたところ、いやぁ〜〜〜驚いた。ウェット、ドライ含めてキャットフードの60%〜70%弱がシーバに席巻されている。まぁたしかに他のものもあるけれど、ともかくシーバの力は絶大なんだよね。
残念ながら宇之助には、シーバをあげられなかった。
食べさせてあげればよかっただろうかなぁと、この文章を書いていてふと思ったけれど、彼はイチゴや蜜柑、スイカが大好きだったからきっと「ぷいっ」と横向いて食べなかっただろうね。

福助なんだけれど、ともかく食い意地が張っている。悪く言うと意地汚い。彼は生後5か月というところで、人馴れしているので飼われていたことは間違いないと動物病院の先生が言っていた。
いつ捨てられてしまったんだろう?どれくらいの期間放浪していたんだろう?ひもじい思いをしたんだろうね。だからお腹いっぱい食べたいんだろうね。食べた後は安心してぐっすり眠っているところを見るとしあわせしてくれているんだろうね。もうひもじい思いは絶対させないからねとこの寝顔をみると思ってしまう。
とはいえど、ヒルズのs/dとロイヤルカナンのphコントロールを食べさせるわけにはいかないからねぇ。このまま「シーバ」と「モンプチ」で良いのかなぁ?と考えると一抹の不安はあるんだよね。

と思っていたら、「フリントリバーランチ」というペットフードを教えてもらった。ジム・フリントさんという方が1993年10月12日に売り出したフードね。
ただ、このフードメーカーは、製品の販売を複数の問屋にまかせて販売チャネルを広げていて、日本には輸入総代理店というものが存在していないのね。だから、それぞれの問屋と契約して日本に輸入している業者や、フリントリバーランチと契約(しているのか??)と言って国内で売っている業者が混在している状態なのねぇ。
そしてどこもが『正規輸入品』と言って売っているわけね。輸入総代理店そのものが存在していなくて正規輸入も何もないと思うんだが・・・・・つまりは全てが『並行輸入品』だろうと思うんだが、まぁ〜ちゃんとしたものが届いて、安心してお猫が食べられればそれでいいんだけれどね。

というわけで、Amazonから少量のサンプルを2袋取り寄せているところなんだよね。Amazonで売られているものは、東京中野のアメリカンペットプロダクツの販売ルートのひとつなんだよね。

アメリカンペットプロダクツ 
フリントリバーランチ・キャットフード

そろそろ届いてくれないかしら?
食べてくれるとうれしいんだけれどなぁ。
posted by 宇之助 at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | にくきう

2015年08月24日

時川家 お猫の系譜

そうだ
お猫の系譜をかいておかなければね。

初代:ちび
うまれ 静岡県三島市中央町
1960年代
勝手口で寝ていたら押し売りが、どすんと荷物を置いたのに起こされて、背中の毛を逆立てて「ふぅ〜〜」っと威嚇したという。その押し売りは、「おじゃましましたぁ」と逃げて行って、そのあと(うちの近所)に立ち寄った家々で、「時川さんとこにいる猫はなんておそろしいんだ」と言いまくったそうで、『押し売り返し』の異名をとった。

二代目:みぃ
1960年代末〜1970年代
生まれ 大阪府東大阪
育ち 奈良県奈良市
二代目と四代目は、この東大阪で繋がっている。人工衛星『まいど1号』プロジェクトの発端の地なんだよね。さて、この二代目は奈良の唐招提寺の外塀をお散歩するのが好きで、従兄弟と共にお散歩をしていた。(くびわ〜紐つけてね)そこで足を踏み外して向こう側に落ちて(唐招提寺の敷地)首つり状態になってしまって、唐招提寺に助けてもらったとか・・・・・

三代目:みぃ
生まれ 不明
育ち 静岡県三島市東町
1980年代中盤
あたしが浜松から「みぃ」さまと宛てて、かつおぶしとか送ると、どういうわけかその品が届くのを察知していて、玄関で待っていて家人を呼んでハンコを押させたという。

四代目:宇之助
生まれ 静岡県駿東郡小山町
育ち 静岡県三島市谷田
2004〜2015
我が家の一人っ子の黒猫さん。
前述の『まいど1号』のサポーター NO.1101196
末尾の二けたが96でクロだった。


五代目:勘助
生まれ 静岡県三島市?
育ち 静岡県三島市東町
2014年〜
『勘助』という名前なのに実は女の子。
やはり黒いお猫。

posted by 宇之助 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | にくきう

2015年07月18日

古典落語についてほんの少しだけ考える

今朝
三代目桂三木助の「宿屋の富」という古典落語を聞いたんだけれど、
「今だったら、ここまで登場人物のやり取りを繰り返さないだろうなぁ。」と、その時代の言葉の流れとか、『間合い』とか『言葉の繰り返し』というものが、あるんだなぁと感じたね。

落語、特に古典落語って『古典』なんだけれど、現代の人が言葉だけで伝えるという日本独自の文化の形態なんだよね。
んで、当然のことながら古典だから昔の言葉、現代では死語として、誰も使っていないし知らないWORDが入っている場合もあるのね。
だから、頭のある演者=噺家さんは、解説臭くなくそのWORDについて噺の中に組み込んでいるのね。この技は先ごろ亡くなった桂米朝さんが本当にうまぁくマクラにはめ込んでいて、その言葉とかシーンが物語の後半、終盤に登場して来ても聴衆は、「あ〜〜なるほどねぇ」と違和感なく、疑問無くその話芸の世界観に浸ることが出来るわけなのね。
とっころが頭の無い若手というやつは、昔のものは昔のまんま一言一句コピーすることが正しいと思い込んで、演じる馬鹿が居るんだよね。

これを厳格に咎めたのが家元・立川談志だったね。
『言葉ってぇのは生きているんだ。それが古典芸能と呼ばれる過去のものであろうが、生きた今に生きる人間が喋っているんだから、今と過去を繋ぎつつ、現代人に違和感なく過去を見せるのが噺家ってぇものだ』と言っていた。
歌人の俵万智が、国語審議会において皆が「日本語が乱れている」という多勢の流れに対して「日本語は揺れている」と評して「言葉は生きている。生きているからこそ揺れることが出来、生きているからこそ時代に応じた姿かたちをかえている。言葉は生きている。」と発言したのと同じであろうと思う。

立川談志の弟子で、現代の落語家の中で、最もチケットが撮りにくい一人・立川談春が演じる「文七元結」という噺がある。古典落語の名作と呼ばれる作品で、左官の長兵衛親方に吉原の大店『佐野槌(さのづち)』の女将が説教するくだりがあるんだけれど、六代目圓生の「文七元結」では、この説教部分の会話は、まったくの『静』で流れていくけれど、談春のここは『動』なんだよね。会話の中で博打の親方の目利きについて説明しているんだな。よくぞこれを組み込んだ、それも何の違和感もなくと感心するんだな。

三代目桂三木助の「宿屋の富」に戻ると、当然のことながらこれはライブ音源でどこかの寄席かホールで録音されたものであるのね。
やはり名人と呼ばれた方であるから、あたしのような素人が聞いていても流れと情景が頭の中で映像が結ばれる。
しかしながらその時代の『間合い』と繰り返しは「ここでもう一度繰り返すのかぁ?その先をはやく・・・」と少なからず感じてしまうんだよね。
現代に合わせた『間』と『流れ』を持って噺を演じることが出来る方が居てくれればと思うんですが、過去の音と間と流れであることが尊いのかもしれないね。
今新たにこの噺をわざわざ聞く必要はないよなぁ。
posted by 宇之助 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2014年12月07日

謎の円盤UFOのヴァージニア・レイク大佐はベネディクト・カンバーバッチのお母さん

ジェリー・アンダーソンが、実写版TVシリーズドラマとして初めて投入したのが、邦題『謎の円盤UFO』ね。
1970年に近未来1980年を描いたSF作品ね。
あらすじとしては
1970年
アメリカ空軍のエドワード・ストレイカー大佐は、自分の上司とイギリス政府の大臣と共に国連の防衛会議に出席することになった。だがその会議へと向かう途中、UFOの襲撃に遭った。
 10年後、ストレイカーは軍を退役しイギリス片田舎にある映画会社ハリントン・ストレイカー映画スタジオの専務取締役となっている。近所からは「またストレイカーさんは道楽で売れねぇ映画作ってるだ。」と笑われている。
でも実はその地下に地球防衛秘密機構:SHADO(シャドー、Supreme Headquarters Alien Defence Organisationの頭文字)本部が設置されていてストレイカーはその最高司令官に任命されているのね。

ちなみに原作では『映画はあえてヒットしないように制作しているにもかかわらず、低予算で作り上げた作品がどういうわけか当たってしまって、地球防衛だけではなく、映画興行宣伝まで仕事が増えてしまった上に、予算獲得(秘密裏に行動している軍の秘密組織だから国家予算が必要なのよ)「映画の売上を当てればいいだろう」と言われて烈火のごとく怒ったという明記があります。

とまぁそんなことは放っておいて
この番組のレギュラーの一人
ヴァージニア・レイク大佐を演じたのが女優ワンダ・ベンサム。
Star Trek Into Darknessのジョン・ハリソン中佐、つまりカーン・ノニエン・シン(Khan Noonien Singh)や、SHERLOCKのシャーロック・ホームズを演じた
ベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)のお母さんね。

ヴァージニア・レイク大佐ってどういう人
ベネディクト・カンバーバッチのお母さんってどんな人というひとは、
このリンクを見てちょうだい。
http://www.full-dreams.com/ufo/lake.html

2014年08月24日

車について考える

あたしは、車が嫌いなんだよね。
そういうと、必ず
「それならなぜボルボなんて乗っているんだ。」と言い出す奴が居るんだな。

あえていうなら
「だって荷物がいっぱい乗るんだもん。」
ということなんだろうね。

遠方、たとえば『都内』『大阪』『名古屋』へ行きましょうという場合、
間違いなく新幹線、在来線等公共交通機関を使う。

んであたしが
今乗っている車で動くとすると、
三島←→御殿場(片道約33km、週5日の走行距離は約300km)
三島←→浜松(片道約160km、本当にたまにだね。年に一回あるかどうか)
三島←→松崎(片道約60km、これも年に一回あるかどうか)
三島←→伊東・伊豆高原(片道約60km、同様に年に一回あるかどうか)
その他走るとすれば、せいぜい片道20km。

10年走って走行距離は170,000km
困ったことに、炎天下の真っ昼間にはエアコンが効かなくなる。
センサー異常なんだろうね。
室内に3つ、コンプレッサー内に1個センサーがある。
たぶんコンプレッサー内のセンサーがおかしいんだろうね。

出退勤時は、エアコンがかろうじて効いている。
いまのところ。

そろそろ
代替の車を考えた時、
一日の走行距離を考えた時、
『電気』自動車でもいいのかなぁと考えるんだよねぇ。
posted by 宇之助 at 22:38| Comment(3) | TrackBack(0) | ◯◯について考える

2014年07月20日

昔は「ドラキュラバンク」・・・今は「いたずらBANK」という名でしっかり生き残っている。

むかしは、10円玉を置くと、ドラキュラの手が出てきて棺に10円玉を持っていってしまう貯金箱だったんだよね。いまはこういう貯金箱なんだよね。



同様の原理で、
こういうのもある
「Useless Box」(そりゃぁ〜Uselessだろうなぁ)
posted by 宇之助 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | にくきう

2014年07月13日

ゴジラは、今年60周年なんだよね。

今年はゴジラが60周年つまり『還暦』なんだよね。

このゴジラの最大のライバルというと・・・・・
モスラ?
ラドン?
芹澤博士かもしれないし、
オキシジャン・デストロイヤーと言えなくもないわなぁ。

まぁ〜その中でも
なぁにを考えてこんなの思いついたんだ???というのが、
やっぱりキングギドラだろうね。
ベースがヤマタノオロチというなら、8つ頭にすればいいものを
それをすると、技術部門やら模型・きぐるみ製作等の裏方が面倒だから
頭3つにしちゃったんだろうな。
それをごまかすために、翼つけて、ゴージャス風な金色で目くらましなんだろうな。
キングギドラソフビ.jpg

ただ、3つの頭というとネタには困らないわけでしてね。
まぁ、頭が3つということだから、
向かって左から頭A、B、Cと便宜上決めて・・・・・

頭Aが、カツを食べるとする。
頭Cが、カレーを食べたとする。
すると、真ん中の
頭Bは、カツカレーを食べた気分になれるんだろうかなぁ??
カツカレー.jpg

同じく
頭Aが、カレーを食べるとする。
頭Cが、うどんを食べたとする。
すると、真ん中の
頭Bは、カレーうどんを食べた気分になれるんだろうか??
カレーうどん.jpg

ん〜〜
謎だ。

ゴジラ60周年に
こんなマヌケなことを考える奴は、まぁいないだろうな。
posted by 宇之助 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然・そこはかとなく

2014年04月13日

この地のテレビのお話

静岡県東部は、東京キー局が入る。
昔からそうなっているんだよね。
でもね、
ことしの7月の終わり頃には、キー局の放送の再送信が終了して、
『テレビ東京以外は、絶対に静岡のローカル放送しか見ることを許さないからね。
 だって、静岡県に住んでるんだから!!』ってことになっちゃうんだな。

世界で一番高い電波塔が計画・設計された時から、静岡県東部地方には、関東キー局の電波が届くことはすでにわかっていた。
(世界で一番高い電波塔=東京スカイツリー )
でもね、
いわゆる地上デジタル放送は区域外で受信しちゃいけないっていうんで、この地域は、しっかり受信できるのに、同じ周波数で静岡ローカルがキー局の電波強度より強力な発信装置を使って、電波妨害的にローカル放送流しているんだよね。

区域外再放送・区域外再送信っていうのは、ここに書きだされてあるんだけれどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BA%E5%9F%9F%E5%A4%96%E5%86%8D%E6%94%BE%E9%80%81
ベッドタウンとして、都内への通勤、通学しようという人たちが多く存在している静岡県東部。
そして、静岡や浜松とかにいくよりも容易く都内・関東圏に出向くことができ、安く良い物が手に入るのは誰もがわかる。
たとえば、バーバリーのジャンパー・ジャケットを手に入れようって思って「バーバリーだと浜松だね。」って思うか?
海外旅行に行きましょうって言って、静岡空港使うか?

静岡ローカルが、山手線や中央線の人身事故で止まっていますとか、京浜東北線が脱線しているとか、成田エキスプレスが始発から車両故障で止まっているなんて絶対に放送しないんだよね。

っとここまで書くと、絶対に
「そんなものインターネットで調べればすぐわかるだろう」って言い出す奴がいるんだな。
放送が伝えてくれなければ、『通信』で情報を得ればいいだろうっていうわけだけれど、
役に立たない放送を垂れ流すのが放送なのか?
必要とする情報が手に入れられない放送を受信し続けなければならないのが視聴者なのか?

まぁ〜しょ〜〜がないね。愚痴言ってもさ。
決められたことだから。

2014年04月06日

おねむたいむ

我が家の宇之助さん。
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ウチのこたつは、掘りごたつなので中に入ることが出来ない。
まずこたつに座って、膝の上にこたつ布団をかけて、その上に寝かせてあげないといけない。
(自分で上がれないので、抱き上げて、寝かしてあげないといけないんだよね。布団にも自分で入れないので、寝かしつけてあげないといけないんだな。)
ここにいると、こういう感じで寝てしまうんだよね。

いつものこと。
posted by 宇之助 at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | にくきう